自分が生まれる前に親が死ぬのは幸せか?
さて、みなさんおはこんばんにちは。
ottimo (オッティモ)です。今回は「ラボードカメレオン」についての記事です。
どうぞごゆっくりしていってください。
不穏なタイトルですがそういった生態を持つカメレオンのことなので心配なさらず。
私はNetflixでDC comic原作のドラマを見ることにハマっているのですが、「Taitans」というドラマの中にラボードカメレオンの話が出てきた。
海外のドラマあるあるかもしれませんが、日本には全く馴染みのない言葉が知ってるでしょ~くらいのノリでポンポン出てくるのでGoogle検索が捗る。
今回のラボードカメレオンはそういう類ではなさそうですが興味をそそられたので少し調べてみた。
※爬虫類が苦手な人は少し閲覧注意。
ラボードカメレオンはマダガスカルに生息する爬虫類。
寿命がたったの5か月で、卵がかえる前に親が死んでしまうそう。
マダガスカルの気候は雨季と乾季の差が激しく雨季に活動し乾季に仮眠をしてしのぐ生物が多いらしい。
そんな中ラボードカメレオンは乾季に生きることをそもそも諦め、雨季にめっちゃ繁殖して子孫残そうぜって感じで進化した模様。
雨季が終わる前に個体は絶滅し、卵のみが乾季を越す。
無理に環境に適応するのではなく「死」という絶対的な方法で回避を決め込む生物。
個よりも種の存続を一番に考えた進化。
しかしこの生存方法はいつか読んだ風の谷のナウシカを思い出す。
物語の中で地球は人間が住めないほど汚染されている。
彼らは地球を浄化する装置を動作させている間は他の星で過ごす選択をした。
環境を強力な科学で変化させてはいるが、少なくとも彼らはその環境下で適応することを諦めた。
ラボードカメレオンにとって環境に立ち向かう手段が「死」なら人間は「科学」。
(書きながら思ったけどナウシカの話は思ったよりしっくりこない。)
少し脱線し過ぎたので話を戻すと、ラボードカメレオンに話を戻す。
この様な進化体系が存在していることを知ると、感情は本当に人間にしか与えられていいないものなんだろう...とも考える。
(感情というものが何なのか定義するのは難しいし知識がないので割愛。勉強する。)
自分が生まれる前に親が死ぬということは親の存在を知らずに生きていくわけだが、そんな自分もいつか親になる機会が訪れる...と考えると不思議なものである。
生殖方法からして親が自分より先に死ぬなんてことは哺乳類の人間にはまず起こらない事態なのだが、もし人間の場合ならやはり悲しいことだし、不幸だといえると思う。
その理由はおそらく単純で、他人と比べるから。
多数の人間自分が生まれる前に親は死んでいない。
他者との違いに気づいたときに、自分は他者とは異なる環境にいることを知り、不幸を感じる可能性が高い。
(この文章を書きながら自分の中で自分の文章に自分でツッコミを入れる声がやまないので追記、訂正、を定期的に行うかもしれない。もしくは削除。)
ラボードカメレオンは(物理的な意味で)愛情を注がれない場合でも生存本能で繁殖はしていく。
また、自分が生まれる前に親が死ぬという環境は他の個体と同様なのでもし彼らに感情があった場合でも、不幸とは感じないかもしれない。
しかし愛情云々は一方的な人間側の意見なので考えないとして、ここまで強力な「本能」を持った生物が人間の「本能」とは何だろうとぼんやり考えてみたくもなる。
あ、Netflixでお勧めがあったら是非教えてください~